痛恨の失敗
CM仕事全盛期はとにかく忙しかった。当時レギュラーで使っていたスタジオはテレビ朝日のスタジオだった。1stから4stまでを全日借り切り、一度に何本もの録音を行った。その間にロビーで打ち合わせ。まさに1日24時間フル稼働だった。ひと月に30本以上の制作もザラにあった。しかし、ここまで忙しくなるとひとつひとつの仕事が荒れて来る。提出したデモテープがダメ出しを喰らう。
ひとつ綻びが生じるとミスは次々に勃発した。打ち合わせで監督が出した要望に応えられない。歌い手のイメージが違う。アシスタントが録音した音を消してしまう。次々にリテイクの嵐。にっちもさっちもいかなくなり加速度的に破綻が進む。
朝一の打ち合わせに遅刻し、フィルム会社のプロデューサーから怒鳴られる。午後の打ち合わせならば前の仕事が押してと言い訳も立つが、朝一では単なる寝坊だ。「いい加減な気持ちで仕事やってんじゃねー!!!」仕事は勝負である。しょっぱなから負けで始まった仕事は切れも悪い。結果、ご満足頂ける仕事にはならない。
そんな不調続きのある日の事。極めつけの失敗をしてしまった。今でもこの時の事を考えると胸がドキドキする。何度も夢に見た。
夜中までの仕事が終了し、終電もすでにない。その日録音した仕事のMA作業は翌日の朝十時から行われる。MAとはフィルムに合わせ、音楽、効果音、ナレーションを入れ込む音の最終作業である。この作業の後、CMの原板が作られ、大体翌日にクライアントへの〇号試写が行われ、決済を頂いた後に局入れ作業となる。殆どの仕事がギリギリのスケジュールの中で行われるので少しでも遅滞が生じると大問題に発展するのだ。
さて、翌日に使用される音楽の最終マスターテープを持って、僕は作曲家と呑みに出かけた。疲れも堪っていたのだろう。呑み始めてすぐに酩酊してしまった。
気が付くと、何故か目黒川のほとりのベンチで眠りこけていた。六本木で呑んでいた筈なのに中目黒に居た。しかも独り。既に空は明るくなり始めていた。ふと自分の手を見ると荷物が無い。鞄もなにもかも。当然マスターテープが入った手提げ袋も・・・。
後数時間後にMAが始まる。一瞬にして酔いが醒めた。とんでもない事をしてしまった。謝って済む問題じゃない。下手すればCM一本まるごと弁償の大事件である。代理店の担当者の進退問題にも発展するだろう。目の前が真っ暗になった。本気で川に身を投げて死のうと思った程だ。しかし、目黒川は水深30センチにも満たないどぶ川である。呆然となりながらもヨタヨタと歩き出し、あてどもなくテレビ朝日に向かった。当然スタジオは閉まっているだろう。しかし、マスターを今一度作る為には2インチのアナログマルチテープから再びトラックダウン作業をしなければならない。朝一でスタジオスタッフが出社したら事情を話してもう一度トラックダウン作業をするしか方法は無い。スタジオスケジュールが空いているかどうかも解らない。仮に空いていたとしても10時までには絶対に間に合わない。現代のハードディスク録音ならば、一度トラックダウンしてしまったら、ファイルを開けてコピーすれば済むがこの時代はコンピューターなど無い。しかもアナログだ。全て人間の手作業だ。結果的には同じ音楽は二度と作れない。あれから二十数年、便利な世の中になったものである。
財布も無くしてしまったので、中目黒から六本木のテレビ朝日センターまで歩いた。今のヒルズがある場所である。正面玄関入って右側にある通称四号別館の五階に朝日サウンドスタジオがあった。朝日の射すビルを下から見上げる。すると、五階だけ電気が点いていた。慌ててエレベーターに乗り、五階を押した。エレベーターの前のロビーは明かりが点灯していた。中に入ると先ほどまで一緒に作業をしていたスタジオエンジニアの幸田さんがソファに寝ていたのだ。
「幸田さん!!」
寝ている幸田さんに声を掛けた。
「んっ? ケンジ、どうした?こんな時間に」
「よかったー。いやあ、酔っぱらってマスターテープ無くしちゃって。幸田さん、朝一でMAなんですけど、もう一度これからトラックダウンしてもらっていいっすか?」
幸田さんは、起き上がり頭をくしゃくしゃとかきむしると、スリッパを履いてぼくの方にやってきた。その直後、僕はおもいきり蹴っ飛ばされた。
「ケンジ!!なにふざけた事抜かしてんだ。酔っぱらってマスターテープ無くしただあ??!!なんで俺がお前の失敗のケツ拭かなけりゃなんねーんだよ!!俺が今いなけりゃどーする積もりだったんだ!!何がもう一度トラックダウンしろだ。てめえ何様のつもりだ??ああっ・・??舐めてんじゃねーぞ!!」
こんなに激昂した幸田さんを初めて見た。僕は慌ててその場で土下座した。
「すみません。その通りです。でも、どうか助けて下さい」
「おまえよ、ケンジ。マスター無くすってどういう事かわかってんのか?そのテープは企業秘密の固まりなんだぞ。テープの箱にはスポンサー名も商品名もはいってんだろ?悪用されたらお前の会社がふっとぶくらいじゃすまねえんだぞ。悪意のあるヤツが拾ったら企業の損害がどんだけになると思ってんだ!!お前さ、最近滅茶苦茶忙しいよな。大変だと思うよ。でもな、最近のお前の仕事は全てやっつけだよ。相手の事なんざこれっぽっちも考えちゃいない。こなしてるだけだ。だから大事なマスターテープだって事もわからずそれ持って呑みに行ったりすんだよ。」
そう言うと、幸田さんは僕の目の前に朝日サウンドスタジオの名前の入った紙袋を出した。おそるおそる中を見るとそこにはマスターテープが入っていた。
「これ・・・・・」
「たまたま、店の人間がウチのスタジオの名前と電話番号見て知らせてくれたから良かったけどな。お前が絶対にうちに連絡してくると思って俺は待ってたんだよ」
「ありがとう御座います・・・・」ほっとしたのと申し訳ないのとなにもかもがぐちゃぐちゃになってこみ上げて来て、僕は泣いた。
それから数時間後のMAは無事事なきを得た。
それからは、どんなに遅く作業が終了しても、必ずマスターテープを会社に戻って保管するようになった。マスターテープを持って呑みに行く事は二度としなくなった。現在も外部で作業した後のハードディスクは必ず会社に持ち帰り保管した上で呑みに行くことにしている。普通だったらこれをキッカケに断酒すべきなんだろうけれども、そこまでは出来ないね。
この時の幸田さんの言葉によって僕は少し変わった。仕事は頂戴するもの。どんなに忙しくても相手に喜んで頂けるものを必死に創ろうと。常に自問自答するようになった。これでいいのか?相手は喜んでくれるのか?アーティストを育成するようになってからは見えないリスナーの顔を想像し思い浮かべながら。
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