vol.6 The 芸能界 浅草ロックフェス
これを読んでくださっている方々はおそらく半信半疑でいると思う。でも、全部紛れもない実話だ。いやあ、あの頃に比べると今はなんて平穏なのだろう。もう二度と戻りたくはないが、当時の一日一日が原色のように輝いていたのは否めない。生き抜いているという実感は今よりも数倍あったかもしれない。
その当時、同じくマネージャーとしてボスの下で働いていたKさんという人とつい数日前に偶然あった。今や、大プロダクションの社長である。ただ、福島訛りの本当の社長は塀の向こう側にいる・・・。上条さんの名前が出るとお互いに触れたくない話題のように苦笑したものだ。
テリーは14歳の時にテレサ野田という名前で映画デビューした。西園寺たまきという名前は本名である。小学校からアメリカンスクールに通っていたので、英語はネイティブに喋ることが出来た。そのかわり日本語の読み書きが苦手で、デビュー時の映画台本は全てローマ字に変換しなければならなかったらしい。僕がマネージャーについた時も相変わらず日本語は苦手で、特に漢字は簡単なものは読めたが、ちょっと難しくなるとダメだった。毎日のように歌詞やTV番組の台本をローマ字変換した事を思いだす。その割に僕はPCのローマ字変換が苦手でいまだに日本語入力である。頭の中で考えている日本語の漢字をローマ字に変換して再び日本語に直す事が理解できない。
どうしてみんなそんな複雑な事が出来るのだろう。そんな事はどうでもいい。
さて、テリーは当時の音楽業界では類い稀な歌唱力を持っていた。加えてリズム感、英語の発音は群を抜いていた。とにかく日本の歌謡曲など聴かない。聴くものは全て洋楽のみ。ボスのプロデュースも日本人初の本格派ロック歌手としてのプライオリティに照準を置いていた。
しかし、当時1981年、正統派ロックは今のように主流ではなかった。ヒットチャートはアイドル、ニューミュージックが全てだった。ちなみにこの年のオリコントップ1獲得アーティストの中では、シャネルズ、もんた&ブラザーズ、クリスタルキングといった所がかろうじてバンド系ではあったが、果たしてロックといえるかと言えば言えないだろう。オルタナティブとして人気があったのはARBやRCサクセション、白竜、アナーキーなどであった。女性シンガーではアンルイス、桑名晴子らがいた。まあ、この頃のロックはみんな不良だったからね。何かと捕まる人多かったし。テレビとしても使いにくかったのだろう。視点を転じ、洋楽はこの年から黄金の80年代ポップス時代を迎える。
さてこの頃、ジャパニーズロック界の最大のイベントと言えば「ニューイヤーロックフェスティバル」だった。内田裕也さんが呼びかけ人となり、浅草国際劇場で毎年12月31日に開催されていた。1981年のこの年は9回目だった。なんといまだに続いているらしい。
その当時の出演者のアーカイブをネットで見つけた。錚々たる顔触れである。西園寺たまき&ヒップスの当時のチラシも掲載されていた。いやあ、懐かしいわ。バンドメンバーみんな結構年喰ってたんだな。
それにしてもこの年の顔触れは超豪華だった。
http://www.nyrf.net/php/stage.php?nyrf_no=nyrf09
松田優作がむっちゃくちゃカッコよかった。楽屋でもあのまんまの顔と表情だったのを思いだす。ジュリーやたけしさんが出ていたのは忘れていたな。カルメンマキは見たような気がする。
1981年12月31日朝、浅草国際劇場にボスとテリーと一緒に出掛けた。この日の為にボ
スはなんとリムジンを借りた。そのリムジンに乗り、浅草国際劇場裏手の楽屋口に到着した。
この日のボスのいでたちは、黒皮のトレンチコート、お馴染の皮パンツにブーツ、上は皮のベスト、そして皮の野球帽にサングラス。ボスは常に帽子を手放さなかった。理由は簡単だ。毛が薄いからである。テリーは豹柄の毛皮のコートに真っ赤な皮パンツと真っ白なウエスタンブーツ。僕は・・・まあいいか。
リムジンから降りると、オールバックの髪をてかてかにした馬鹿でかいプロレスラーのような男が出迎えた。その男がボスに最敬礼した。
「ボス、おつかれさまっす。今、祐也さん呼んできますんで」
「おう」
大男は側に従う若者に顎で促した。
苦虫を噛みつぶしたような表情で鷹揚(おうよう)に応えるボス。ハイライトを銜える(くわえる)。すかさずライターで火を付ける大男。
その大男は・・・安岡力也さんだった。
しばらくしてモスグリーンの戦闘服姿の祐也さん登場。
「ボス、元気そうで」
そう言って祐也さんは一礼を返す。
「おう、祐也ちゃんも元気そうだな」
「楽屋にご案内します」
祐也さんが先頭に立って我々を楽屋に案内する。
・・・やばい。カッコよすぎだよ、ボス。まるで自分まで強くなったような気がして若干二十歳の洟垂れ馬鹿小僧っ子の僕までひょこひょこと偉そうに一行の後をついて行ったものだ。
しかし、祐也さんが頭を下げられる人は少ないだろうな・・・。
この時、僕のボスへの忠誠心、敬慕は頂点だった。
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