vol.9 サラ金その二
さてと、再び25年前に戻ろう。
サラ金会社兼マネージャー稼業の僕の毎日はそれなりにとてもスリリングだった。
逆恨みした債務者が出刃包丁持って乗り込んで来た事もあった。毎日一度は恨み言、脅しの電話を受けたりもした。
専務の木下さんは見た目無茶苦茶恐い人だったけれど、内実この人は優しい人だった。御自宅に招かれた事もあったが、可愛らしい普通の奥様に当時三歳になるお嬢さんがいて、普通に子煩悩なパパだった。木下さんはこのサラ金会社ともうひとつ、闇の探偵業を営んでいた。まあいわゆる事件屋。企業の不渡り手形の回収だの総会屋の手先となって、大手企業の重役のスキャンダルを探すといったお仕事。何故かこの木下さんに僕はいたく気に入られてしまい、何度もスカウトされたものだ。給料も破格。正直、金の多寡で心は動くものよ。なにせ80万円。当時の自分の給料の7倍近く。でもやっぱりね、音楽から離れる事は出来なかった。
社長のSさん(今どーしてるか全く判らないので匿名とする)はとにかく芸能界好き。それも夜のクラブ遊びで自慢したい、ただそれだけの理由。しょっちゅうお供をさせられた。ヤレもしない女とただ呑むだけの慣行の阿呆らしさに20歳で気付き、その後、接待以外でそんな場所に出入した事はない。ただでさえ、周りにはピッチピチに若い娘たくさん居るし。みんな恐いけど。
S社長と同じく、事務所に詰める若い衆達も芸能界に憧れる輩が多かった。そんな連中を逆研修とばかりにNHKの「レッツゴーヤング」の収録に連れていった。NHKホールの楽屋口はステージ下手の入り口に向かって長い待合いロビーになっている。ステージの状況が見えるようにその通路の真ん中にモニターが置かれ、向い側に安手のソファーが並べられている。25年前も現在も殆どおんなじ。ったく番組のプロデューサーにポッポされる前に少しは設備に金掛けろよ、公共放送。(ついつい本音)
その頃の「レッツゴーヤング」の司会は確か太川陽介と榊原郁江ちゃんだったと記憶する。その後、田原のトシちゃんと聖子ちゃんに変わったのかな。今は「ポップジャム」という名前でこの番組は継承されている。だ・か・ら、ロビーと楽屋、もすこし何とかしろよな。
で、この日このロビーの一角に相当異色な連中が占拠した。でもね、いつもは肩そびやかしている連中がまるで「借りてきた猫」状態。自分たちの前をいつもはブラウン管の中でしか見た事ないタレント達が闊歩している。松田聖子、小泉今日子、近藤真彦・・・。
どういう顔していればいいのか判らず、ひたすら下を向くばかり。けっ、可愛いやつらだ。
で、僕はたまたまピンクレディと、適当になんとなく顔見知りだった時代があって(この辺はもうあんまり覚えていない。土井ハジメさんという振付師との付き合いの延長だったと思う)この日、ミーちゃんとケイちゃんが通りかかった時に「御無沙汰してます」と声を掛けたのだ。すると二人もなんとなく顔だけは覚えていてくれたようで「ああ、どうも、お元気ですか?」と、むっちゃくちゃ業界系社交辞令を返してくれたのだ。当然名前なんざ覚えられちゃいない。しかーし、業界免疫の全く無い先輩社員さん達にはこれが相当「キチャった」らしい。
「すごいっすねーピンクレディと知りあいなんすか」
いきなり敬語。あんたさー、この前俺の事ぼこぼこにしたやんけ。
「いやぁ、ちょっとね」と僕。
なーにがちょっとね、だっちゅうに。でも、ちょいと「勝った」という気分を味わったな。
忙中歓あり・・・。
その後、このサラ金会社も斜陽化していく。なんだかんだで社長も専務も悪人になりきれなかったのだ。何度も債務者に借金踏み倒され、ボスにバンバン金遣われ、裏ビデオ屋は摘発され、歌舞伎町のデート喫茶も時を待たずして日本のヤクザに乗っ取られた。で、ある日潰れてしまった。その後社長のS氏は映像制作会社を起ち上げるが失敗。今はどうしてるのかな。所詮は船橋でパチンコ屋や焼き肉屋を手掛ける家のボンボンだったのだ。
専務の木下さんは数年後、京浜運河に他殺死体で浮かんだ事を新聞で知る。・・・。
家族の行方は知らない。この人にはかなり好意を持っていた事を自分の泪で知った。
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