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CM業界篇 vol.1

しばらく実家でぼうっとする日々を過ごしていた。激動の芸能界からほうほうの態で逃げ出し、さてこれから何をすべえかな、と考えていた。当時は特に自分が背負うべき借金も無く養うべき家族も存在していなかったので、気は楽っちゃあ楽だった。とは言っても金は無い。芸能界で様々な人に出会い人脈はそこそこ築けたが、あれだけ騒動を起してしまったので、当分合わせる顔がない。どこかのレコード会社に潜り込む事も考えてみたが、いずれにしても上条さんの知り合いばかりだ。しばらくこのラインからは遠ざかるべきだと心と頭が警鐘を鳴らしていた。とは言うものの、この業界に入るきっかけを作ってくれたエジソン先生には、事の顛末を報告する義務がある。
そんな訳で久しぶりに我が師を訪ねた。ちなみに、つい最近我が師エジソン氏(渡辺敬之氏)は秋川雅史のプロデュースをしている。「千の風に乗って」も氏の手による作品だ。儲かってるんだろうな・・・。

「今さら合わせる顔も無いのですが、まあかくかくしかじかで、職を失いまして・・・でへへへ」
「ばかやろ、だから上条さんはなにかと危ないからやめとけって言ったじゃないか。自業自得だな」
「まったくです。返す言葉もありやせん」
「ふむ・・・ところでケンジ、CM音楽やる気はないか」
「いやはや、今さらより好みしている状態じゃございませんので、とにかくなんでもやります」
「実はミュージックハウスゼロという会社から誰か根性のある若いヤツいないかと言われていたのだよ」
「根性っすか・・・まあ、かなり叩かれまくりましたからね」
「うん、じゃっ今から電話してみる」
そんな訳でまたしても師の世話になり、翌週からこの会社に勤める事とあいなった。
実は以前エジソンさんのアシスタントをしていた頃からこの会社とは馴染みであった。
なので、面接もなしのいきなりの採用。もちろん三ヶ月間の試用期間は設けられたが。しかし、上条ボスの元で相当しごかれたので、この頃既に処世術には長けていた。21才の夏。
出社初日は30分前に行き、鍵を貰っていないのでポストに入っていた読売新聞を勝手に取り出し会社の前で座り込んで読んでいた。間もなくデスクの女性が出社してきた。すかさず90度の角度で挨拶。
「この度お世話になる事にあいなりました、鈴木です。よろしくお願い致します」
相手の方が恐縮していたね。
会社に入るとすかさず自分から「掃除機はどこでしょう」と尋ね、いきなり会社中を掃除し始めた。とにかく最初から・・・こやつはただものではない・・・と思わせる事が大事だと計画を練っていた。続々出社してくる先輩スタッフ達に完璧な挨拶をし、事前にデスクの女性から各先輩達、社長のコーヒー及びお茶の好みを聞き出していたので、まずはお茶汲み。その翌日から毎朝30分前に出社し、掃除をし、各デスクを綺麗に拭き、コーヒーを準備する。これを一年間続けた。煙草の銘柄も覚え、それぞれを常に何箱か常備し、相手の様子を窺いながら無くなるとすかさず目の前に差し出す。
もうこの頃は楽しくて仕方なかった。こんな事はお茶の子さいさい。嫌味なヤツだったね。
で、二ヶ月で試用期間終了。晴れて正社員となりました。利点は厚生年金、社会保険に加入出来た事かな。ボーナスもあれば給料もきちんきちんと支払われて、それまでの世界とは違ってもうぬるま湯生活。
あるプロデューサーのアシスタントに付いたのだけれども、この人は結構ガタイもでかくて押し出しも強い人で、僕に対しても何かと偉ぶるタイプの人だったのだけれども、ふん、今までの人達に較べればもう仏様のように思えたものだった。
しかし、この高慢さがいけなかった。後々僕はCM業界で散々苦労する。
CM業界は芸能界と違い、相手は一般企業のホワイトカラーさん達である。普通のサラリーマン相手の商売だ。芸能界の常識は通じない。広告代理店は確かにカタカナ職業で、業界人ではあるが、当時の芸能界のような海千山千はいない。皆一流の大学を卒業したエリートばかり。当時から(まあ今もだけれど)僕はかなり短気だった。しかも負けず嫌い。特に上からモノを言われるとすぐにカチンとくる性質。本来、仕事とは頂くもの、頭を下げてナンボの世界。しかもCMは受注業。スポンサー様の大事なお金を預かって販売促進の為にクリエイティブを発揮する。今ではさすがに理解出来るようになってはきたが、当時の僕には全然全くかけらも理解出来なかった。もう喧嘩しまくり。相手が理不尽な事(スポンサーは日本語で書くと「理不尽人」となる)言うと、たかだか21才のアシスタントに過ぎない僕はいきなり暴言吐きまくり。暴れまくり。
入社半年頃の事。あるアパレルメーカーの打ち合わせ。
事前に貰った絵コンテを元にデモテープを制作し持参した。本番前のラフな音楽スケッチ。しかしながら徹夜で創り上げた作品だ。この日のミーティングはオールスタッフミーティングと言って、CM制作に関わる全てのスタッフが顔を揃える。代理店のクリエイター、ディレクター、プロデューサー、制作アシスタント、カメラマン、ライトマン、スタイリスト、ヘアメイク、大道具、音効さん・・・当時CM音楽制作屋の立場は低かった。現在はプロダクションのPM(制作)さんが時間をずらして我々が待たされる事は少なくなったが、当時は違った。彼等から見ればたかだか音楽屋風情。この時の打ち合わせでも散々待たされた。同じテーブルに座ったまま2時間。我々には全く関係の無い撮影の段取りを延々聞かされる。
ようやく音楽の話になったかと思うとすぐにディレクターは撮影部との話を蒸し返す。徐々に撮影スタッフ達が帰り始め、我々だけが残された。するとディレクターはいそいそと鞄にコンテを詰め込み、映像プロダクションの制作に言った。
「次あるから、オレ行くわ」
むっ。
「あの・・・」
ディレクターはゴミでも眺めるような眼を僕に向けた。
「こっちは2時間以上待たされてるんですが、デモテープ聞いていただけないですか?」
既に僕の眼は座っていた。下からすくい上げるようにディレクターを睨んだ。
すると、そいつはこうのたまった。
「音楽は取りあえず鳴ってりゃいいんだよ。制作に渡しとけ」
ぶちっ!!
僕はすかさず持っていたカセットテープをおもいっきりディレクターの顔に投げ付けた。
「てめえ、この場で絞められてーのか!!」一喝。それでも怒りは静まらない。僕は4m×2mの会議室テーブルの端を掴んでその場でひっくり返した。そしてそのまま立ち去った。上司置き去り。
その時のディレクターは当時超が付く売れっ子だった。つい最近癌で死んだと聞いた。
もちろん上司からは散々叱られた。でもね、殴られる訳でも拳銃向けられる訳でも無いので馬耳東風。こうして僕は仕事をナメ始めた。今考えると顔から火が出る。

 

 CM業界に入って一年目に海外録音の機会がやってきた。
某衣料量販店の企業CMに歌手のリタクーリッジを起用する事が決まったのだ。
普通に考えれば入社したばかりのペイペイ社員が海外録音に随行出来るなどおよそあり得ない話なのだが、リタクーリッジは当時L.A在住だったのと、彼女のメーカーがL.Aに本社を置くA&Mレコードだった事もあり、LAに土地勘がある僕にお鉢が回ってきたのだった。
この時の作品は作詞を三浦徳子さんに依頼し、作曲をジュリー沢田研二さんにお願いした。「Love from Tokyo~美しき女(ひと)~」という作品だ。
 ほぼ一年半ぶりにL.Aにやってきた。
 こてこての浪速の商人のクライアント様二名が同行。内一名は社長のご子息様。失礼があってはならない。まあ、この人達の主目的はゴルフとラスベガス視察だったから、そっちはプロデューサーに任せて、僕はもっぱら現場の録音作業を担当した。

 胸元の大きく開いたドレスを着て、リタクーリッジがA&Mスタジオに姿を現した。当時のリタはまだ30代半ば。顔はでかいが、いい女真っ盛りだった。挨拶が済んだ途端にリタはジョイントを取り出した。マリファナである。その場にいるみんなに振る舞ってくれた。勿論クライアント様は居ない。この時のマリファナは極上ものだった。カナダのケペック産だと言っていた。もう日本勢フラッフラ。そんな状態で始まったレコーディングだからミュージシャンもエンジニアも飛びまくり状態。最高の録音環境だったね。早く日本でも解禁して欲しいものだ。音楽従事者は一度は体験するべきである。捕まってもしゃあない。音やグルーブが視覚で体験出来る。一度これを体験しておくと、音楽に対する捉え方が根本的に変わる。日本のミュージシャンはどうしても理屈に走るきらいがあるが、それは大麻を経験してないからである。そうに決まってる。断言しちゃう。海外旅行に行くならばオランダにしなさい。ちなみに他の薬物は音楽には適さない。コカインもヘロインも覚せい剤も、音楽なんざやってる事がバカバカしくなるから。やめときなさい。LSDはライブ前にきめると良いかもしれない。話逸れすぎ御免。
 レコーディングはあっという間に終了した。最近久しぶりにこの時の音源を聴いてみたが、いやあ・・・・なんちゅうか、まあ。あははだったな。メロディはマイナー調の歌謡曲。なんだかんだで当時結構売れた。
 さっさとレコーディングを終了し、トラッダウンをエンジニアに任せ、クライアント様二名に随行してべガスに行くことになった。カリフォルニアの砂漠地帯を体験して頂く為に空路ではなく、リムジンで。ひたすら砂漠をリムジンでぶっ飛ばして夜明けにフリーウェイ沿いのカフェでアメリカンコーヒーを啜る。なかなかに味わい深い旅だった。地平線が下から紫、群青、紅、朱色に染まっていく様は日本では見られないであろう大自然の彩色だった。まさにバグダットカフェのシーンそのもの。
 当時のべガスは今程観光地化していず、砂漠にいきなり現れた巨大なパチンコ店の集合体といった趣だった。まだマフィアがあからさまに闊歩していて、街中はそれなりに暴力と賭博の匂いが強かった。しかし、これぞ旧きアメリカといった風景には今のアメリカにはないいくぶん無法的だが、奔放な自由が感じられた。
 今思うとこの仕事は大名旅行だった。日本はバブルに向けてまっしぐらの時期だったからね。クライアント様達には下にもおかないおもてなし。なんでもあり。言えない事もたくさんあり。カジノの軍資金も制作費の中から捻出出来た。夜のお供もご相伴にあずかった。当時のべガスにはアメリカ中から美女娼婦が集まっていた。アングロサクソン、イタリア系、アイリッシュ、ユダヤ系、もう美女美女。よりどりみどり。博打はとことん負けたがいい思いもたっぷり味わった。あんな時代もあったのね。今やクライアントが海外録音に同行するなんてまずない。大体からして今のネット社会では海外録音する必要がない。いいんだか悪いんだか。
そうそう、この時クライアントの一人が1万ドル入りの財布を盗まれた。もちろんそのお金も制作費で補填した。(この時の1万ドルは当時のレートで240万円)
 で、その時こっそりと懐に入れた300ドルを握りしめて僕は帰国後成田からタクシーで川崎堀之内に向かった。ぽん引きにドルで入れる店を聞いたら案内してくれた。店の名前はコックピット。スッチー姿で迎えてくれた姐さんはなんと当時のおふくろよりも年季が入ったその道のベテラン。それでも射精出来た僕は若かった。その後の懺悔と言うか後悔の気分はなんとも言えない。だって姐さんたら鼻の下にしわが見えるんだもの。
その後何度もぽん引きにゃ騙されたけれど、この時が最高齢だったな。

 そして、時代はバブルに突入。

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