VOL.10 USA初上陸
サラ金会社に所属中、アメリカでの録音話が持ち上がった。当時の日本ではまだ海外での録音は珍しかった。その数年前のプラザ合意後、円は変動制に移行したのだが当時レートはそれでも充分に円安ドル高だった。確か1ドル240円くらいだったと思う。現在の倍以上だ。海外録音は日本での制作を遥かに上回る高値だったのだ。それでもボスは意地で敢行した。当時のボスの気持ちを諮るに今の自分に似ていると思う。アーティストの為ならばどんなにリスクが掛かっても構わないという気持ちが確かに僕にはある。なんだかんだで影響を色濃く受けているのだなと思うし、その事に何故か悄然としてしまう。
さて、僕にとっても初の洋行だった。しかもミュージャンの殆どはその後グラミーを総なめしたTOTOのメンバーだった。ギターはスティーブ・ルカサー、キーボードはスティーブ・ポーカロ、コーラスがボビー・キンボール、ドラムスはジェフ・ポーカロではなく、オリビアニュートンジョンのオリジナルメンバー、マイク・ベアードであった。ベースはえーと、えーと、確かイスラム系の人だった。そう!!エイブラハム・ラボリエルだ、うん。確かに当時のTOTOメンバーはまだ、金さえ出せば演奏してくれるスタジオミュージシャンではあった。しかし、僕にとっては夢の様な話だったし出来事だったのだ。
初めてアメリカのL.Aに到着した時、既に現地は夕やみに包まれていた。訳も判らずイミグレーションを通過した。僕はテリーと一緒にL.A入りしたので、通訳には困らなかった。彼女がいなければひょっとしたらいまだに僕はイミグレーションの手前で暮らしているかも知れない・・・・んな事はないか。既に先乗りしていたボスとコーディネーターが出口で迎えてくれた。そして、そのまま荷物を解く間もなく我々はサンセットストリート沿いの「Whisky A GOGO」というクラブに連れていかれたのだ。
夕闇の中でアメリカ初情陸の実感も無いまま、車に押し込まれ、いきなり当時最も流行っていたクラブに連れていかれた20歳の小僧の気持ちを慮ってみて欲しい。「うっわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」である。いきなり映画の世界にぶち込まれた気分だった。
なにしろ周りは金髪だらけ。バーカウンターもステージも観客もなにもかもが徹底的にアメリカだったのだ。そして、間髪入れず「ヒューイルイス&ザ・ニュース」のギグである。もうアメリカンOFアメリカン。気分は完全に「アメリカングラフィティ」でね、ぼーっとしていると当時はまだクラブに来る東洋人が珍しかったのか、ひやかす意味だったと思うけれども、次々にマリファナを巻いたジョイントが僕の手に渡されるのだよ。最初はタバコだと思ったのだけれども吸うたびに頭がくんらくんらしてくる。ああ、これがグラスか、マリファナかと思い、くそー、負けてたまるかとばかりにガンガン吸いまくった。しかーし、時差ボケと長旅であえなく沈没。正直に言います。「ヒューイルイス&ザ・ニュース」のライブの真っ最中に「Whisky A GOGO」のフロアにわたし嘔吐しました。・・・情けない。その後大ヒットしたバンドのしかも最後のクラブ演奏だけに覚えている人がいるとしたら、わたしゃその人抹殺したいわ。その後はCMのレコーディングやらなんやらで何十回となくアメリカには行ったけれども、あの時の初アメリカの洗礼は忘れられません。
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